「8割おじさん」をいじめないでください。おじさん(疫学者)が使う統計的手法は、数が少なくデータが疑わしい時点での「予測」という困難に臨んでいるからです。
病気の広まりを予測する際に使われるのが「基本再生産数」です。「R0」と表記され、一人の感染者から感染する可能性のある被感染者数を示しています。例えばR0が4という場合には、ある病気の人が回復するまでにその病気を4人に移す可能性があることを示します。予測のために最も重要なR0や致死率を初期の少数のデータから推定しなければなりません。おじさんは情報が無いにもかかわらず感染の拡大を予測しなければならない不条理な状況なのです。その上、日本ではこれまで感染症の数理モデルを活用した議論をしたことがありません。海外ではHIV感染症(エイズ)の時に、大騒ぎで議論され、数理モデルでの予測に基づいて対策がされました。勿論、予測は大外れに終わったのですが、その時の経験がありました。

リスクの分類


コロナのリスクとは、一体どんなリスクなのでしょうか。「リスク」という言葉は、日常でも多く使われ、よく耳にします。辞書では「リスクとは、将来いずれかの時に起こる不確定な事象とその影響」という意味です。日本語においては、何か悪い事が起こる可能性、予想通りにいかない危険、危機が生じる度合いなど「危険」や「危機」をさすことが多いですが、悪い事象そのものだけではなく可能性を含めた意味があります。つまり「不確定な要素を事前に測定できるもの」と定義され、英語の risk の意味は「(悪い事が起こる可能性を承知の上)勇気をもって試みる」ことを意味する。」とあります。
Wynneは、不確実性を7つに分類しました。多様な意味に使われる「リスク」という言葉を整理することで、問題を理解し、解決に近づくことができます。
二〇二〇年一月の時点では、コロナのリスクは「無知」でしょうか。病気であることは解っていますが、治療方法、潜伏期間、死亡率、ウィルスの感染能力など多くが不明でした。エボラ出血熱と同様な扱いで、感染すると非常に高い致死率の病気ではないのかと、大騒ぎし、テレビの前で固唾を飲む思いをしていました。それから2年以上の月日を経て、不確実性の分類では、「無知」から「リスク」になりました。つまり危害の内容が知られ、その発生確率も知られるようになったのです。

意思決定


そろそろ日本においても意思決定をすべき段階に来ています。意思決定とは、目標を達成するために、いくつかの選択肢の中から1つ又は複数を選択する行為です。意思決定をしなければならない時、解決しなければならない問題の状況により、難度が大きく異なります。解決しなければならない問題の不確実性に応じて3つに分類します。
①リスクが無い問題における意思決定、
②Wynneのリスクの下での意思決定、
③Wynneのその他のリスクの意思決定
①は確実性の下での意思決定です。選択肢を選んだことによる結果が確実に決まっている意思決定です。例えば、効果が確実に解る5千万円の投資と、効果が確実に解る8千万円の投資のどちらが良いかを決めるような意思決定です。
②のリスクの下での意思決定は、選択肢を選んだことによる結果が確率で生じる意思決定です。例えば、ワクチンを打つかどうかの検討です。2回のワクチン接種をした4万人の被験者の7日以降、95.0%のワクチン有効性が確認され、0.02%の副反応の疑いが報告された時の意思決定です。
③のその他のリスクの意思決定は、不確実性の下での意思決定です。不確実性の下とは、選択肢を選択したことによる結果の確率がわからない状況です。さらに2つに区分すると選択肢を選んだ結果、どのような状態や結果が出現するかは解っていますが、状態や結果の出現の確率が解らない状態と、どのような結果や状態が出現するかどうか可能性も解らない状態の意思決定です。

意思決定の理論


規範的理論(normative theory)


規範的理論は、合理的意思決定を志向し、どのような意思決定が望ましいのか。つまり、十分な情報を持つ理想的な意思決定者を仮定し、完全な正確さで計算し、完全に合理的に意思決定することです。
しかし、理想的な意思決定者、つまり神のような人物をイメージし、誰もが納得する意思決定をすることはできません。例えば、我々が人類の経験の中から培ってきた規範のどれかを選ぶことすらできません。規範はあまりにも多くあり、その規範の中で相互に矛盾するものがあります。習俗規範としてのことわざを考えてみると「急がば回れ」、「善は急げ」はどう考えますか。
記述的理論(descriptive theory)
記述的理論は、人間が実際にどのような意思決定をしているのかということを説明する理論です。この紙面でも何度も出てきている、人間は合理的に行動していません。行動経済学で人間は、得ることよりも損をすることに影響され、現状を維持したいという欲求が強く働きます。これは人という生物が生きる残るために獲得してきたもので簡単に変えることはできません。

処方的アプローチ(prescriptive approach)


処方的アプローチは、 合理的意思決定を支援することを目標としています。意思決定バイアスの問題を意識させた上で、よりよい意思決定をサポートするためのアプローチです。KT法、マインドマップ、魚の骨図(特性要因図)、階層分析法、決定木、シナリオ・プランニングなどがあります。

KT法


KT法では、我々は①何が起こっているのか、②どうしてそうなったのか、③どういう処理を採れば良いのか、④将来どんなことが起こりそうか、の4つの思考パターンを使用しています。そして、各思考パターンに対し、状況把握(現状把握と課題抽出)、問題分析(問題も明確と原因究明)、決定分析(目標設定と最適案の決定)、潜在問題分析(リスク想定と対策計画)、という体系的分析手順を採ることでよりよい決断をおこなうものです。コロナ禍におけるKT法の適用は、私の労力と得られるものとの比較衡量において受忍限度を越えているので止めておきます。

コロナについて


コロナのリスクとは、人間の生命、健康に望ましくない結果をもたらす可能性ということになります。Wynneのリスク分類では、「リスク」若しくは「狭義の不確実性」の区分に分類することにします。コロナ発生から二年以上にわたる経験で基本再生産数や死亡率を推定でき、日本国民の生命、健康に及ぼす被害を確率で推定することが可能です。
リスクを受け入れるか受け入れないかは、そのリスクを被る価値があるかどうか、失うものより得られるメリットが大きいかによります。もちろん、最新技術や情報により適切にリスクが抑制・管理されているという信頼のもとでなければなりません。リスクはコロナに感染して死亡した場合、死亡しなかったとした時に得られたであろう金銭の額で評価することができます。いや、人の命は無限大の価値を持っていると主張する人もいますが、この現代の社会においては人の命の値段は決まっています。そうでなければ、交通事故で死亡したことによる損害賠償金が計算できなくなります。コロナ感染で死亡する人の損害賠償金の総額と経済活動を止めることによる損害の比較により判断することになります。
その上で、どの程度の経済活動に戻すかは意思決定に関わる問題です。この場合の意思決定は、リスクの下での意思決定に該当します。
後は、どの様な成果・どの水準の目標を設定するかになりますね。

[参考文献]


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TAKEMURA, K., KIKKAWA, T., & FUJII, S. (2004). 不確実性の分類とリスク評価 ―理論枠組の提案― TAXONOMY OF UNCERTAINTIES AND RISK EVALUATION : A PROPOSAL OF THE THEORETICAL FRAMEWORK. SOCIOTECHNICA, 2, 12–20. 
吉中淳, & 後藤玲奈. (2017). モンティ・ホール・ジレンマにおける規範的意思決定の阻害要因の検討 現状維持バイアスと自己決定感の側面から A 日本教育心理学会総会発表論文集 (Vol. 59). 
高木, & 修. (1986). 援助行動の意思決定過程の研究--Schwartz,S.H.の規範的モデルについて. 関西大学社会学部紀要, 17(2), p23-48.
相馬, & 正史. (2012). 処方的アプローチにおいて利用できる意思決定ツールとその展望. 立教大学心理学研究, 54, 91–100.