滅亡へ続く門は大きく広いため、そこを通っていく人は多い。(マタイによる福音書 第七章十三節)


前回の復習


「事業を始めるにあたって、計画は必要か。それとも必要は無いか。いずれでもなく良い製品があれば良いのか。」という問題提起のもとに、それぞれの主張を検討しました。
戦略・計画が必要だという派閥の主張は、戦略・計画をたてずに事業を始めることは、思いつきで事業を始めることと同じであり、練り込んだ戦略・計画で事業化した競争相手に勝てないと考えます。そこで前回は、既存企業に対して「競争する」と「共存する」、技術や商品を「囲い込む」と「打って出る」の2軸で戦略を検討しました。このようにフレームワークを使って事業を理論化すれば、漏れなく簡潔に文章化ができます。また全ての戦略にはトレードオフの関係があるので、戦略の利点、弱点を理解し、自信を持って事業に取り組むことができると主張します。
戦略・計画の必要はないという派閥は、理路整然と説明できることが事業を成功に導くことにならず、他の事業で得られた過去のデータや成功体験に基づく処方箋が機能せず、計画を立てることが成功の確率を高めることが検証されたこともないと述べています。説明ができることについて、経営学者達はケーススタディをよりどころにしていますが、成功した事業の事後的な説明は極めて疑わしいく、追認や偏見だらけの記述である可能性が高く、多くの失敗企業の記録がない。数少ない成功企業の記録が根拠であることが問題であると指摘します。成功の鍵は、顧客の反応であり、これは試行錯誤を繰り返さない限り事前に予想するのは困難です。つまり起業とは、過去のデータから学ぶのではなく、実践そのものであると述べています。つまり起業とは自社の製品の市場への投入により得られる独自のデータを生み出すことであり、これまで存在しなかったデータを基に、新しい世界の正しい理解を経験をとおして理解するもので、他人の経験により得られたデータを基にした計画を実行することでは、事業は成功しないと主張します。
良い製品やサービスがあれば、事業は成功するという意見に対しては、誰にとって良い製品なのかという疑問が残ります。確かに既存の製品よりは素晴らしいのかもしれませんが、それだけの理由で顧客が新しい製品を購入してくれるでしょうか。買い替えるほど重要な問題を顧客は抱えているのでしょうか。
新規事業は、製品やサービスの開発も重要ですが、それに伴う顧客の開発がより重要であるということです。顧客と顧客が抱える課題を深く理解し、顧客に製品やサービスを買ってもらうまでの顧客開発モデルが重要であると同時に、組織が顧客開発をとおして学習したものを製品開発に活かすための組織の構築に集中しなければなりません。
ここまでが前回の復習です。

顧客開発モデル


製品やサービスが販売できるようになるには、いくつかの非常に基本的な質問に答える必要があります。
1 自社の製品が解決する問題は何か?
2 顧客はこの問題を重要若しくは解決することが必須だと捉えているか?
3 もし企業に売るのであれば、自社の製品で解決できる問題は企業内で誰が抱えているか?
4 もし消費者向けに売るのであれば、消費者への到達手段は何か?
5 購入決定権を持っているのは誰か?
6 問題の大きさはどの程度か?
7 誰に対して営業訪問をするべきか?
8 黒字になるには何件の顧客が必要か?
9 平均的受注額はいくらか?
この基本的な質問に対して経営者は「答えは全てわかっている。」と答えます。わかっているつもりでも、本当はわかっていないことはよくあります。顧客に関するこれらの質問に適切に回答できるなら、顧客開発モデルの基本的枠組みが決定されており、経営者の顧客に対する理解が再確認できます。

経営者の説明責任


事業計画に関する私たちの経験は、計画は数字と徹底的な分析に基づき立案され、偏見や裁量、意見などには左右されず、裏付けとなる計算が膨大なほど、計画に対する自信は深まります。しかし、計画の立案は、時間がかかる割に、微々たる影響しか及ぼしません。大胆で斬新な計画、ユニークな計画は生まれません、むしろ既定路線をいつまでも踏襲する計画ができあがります。
一方で経営者は、金融機関・投資家に対する説明責任から逃れられません。つまり経営にはデータが欠かせず、数字やデータを徹底的に分析した根拠のあるものほど説得力が増します。

シナリオベース


戦略上の課題や機会に対応して、シナリオと呼ぶ明確な仮説を立てることで、過去のデータにはない、異なる角度からのユニークな計画の立案が可能となります。
シナリオとは要するに、自社の成功プロセスを描いたバラ色のストーリーです。市場のどこで勝負し、どのように勝利するかをストーリーで描くことです。
有効性を証明する必要がないストーリーのことをシナリオであるとすると、期待できそうな未実行の戦略を試しに議論してみることができます。以下の3点を詳しく説明する必要があります。
1 競合者との関係でどの様な優位性を手に入れるか。
2 その優位性をどの部分(事業・製品・サービス)に当てはめるか。
3 対象となる部分で狙いとおりの優位性を実現するために、どう活動するか。
シナリオを描き出す際には、現状と既定路線も検討します。そうすると今後のどこかの段階で、現状を維持するにはどういった条件が必要かを明らかにせざるを得ず、最悪の場合、今の路線のままで良いといういつもの結論を選択することができなくなります。現状維持は、衰退への一途かもしれないが、シナリオの一つとして位置づけておけば、改めて掘り下げることもできるため、危険を察知する役に立つのです。
シナリオベースの手法は簡単そうだとの印象を受けるかもしれませんがそうではありません。以下の3つの根本的な発想の転換を求められるからです。
1 「どうすべきか」という問いを封印して、代わりに「何ができるだろうか」と考えなければなりません。
2 「正しいのは何か」ではなく、「何を正しいと考えなくてはいけないか」への発想の転換を求められます。その為には、気に入らないものも含めて、全てのシナリオを素晴らしいものと想定しなければならない。
3 「何が正しい答えか」ではなく、「何が正しい問いか。優れた判断を下すには、具体的に何がわかっている必要があるか」に意識を向けなければなりません。

結論


経営者が全知全能の神の様なものであれば、新しい製品を市場に投入したときに、顧客がどの様に評価し、どの様な行動を取るかを正確に予知できるのですから、新しい事業が失敗することはありえません。しかしこれは神だからできることです。
愚かな人間には、計算能力と環境の不確実性、その両方の理由から、全てを予め見通すことができません。そこで事業の開発等のような難題には、3つの方法で意思決定することが散見されます。
一つ目は、この様な難題には、最適な選択はできないので、満足できる選択肢を選択する。
二つ目は、大きな難題ではなく、具体的な下位問題に置き換える。
三つ目は、難題を分割し、担当部署若しくは専門家に依頼し、提案された選択肢の調整をすることで意思決定を回避する。
冷静に考えれば、どの方法で意思決定をしても、計画が成功する可能性が高まるとは思えません。経営者として、自己と自己の組織の特性をよく理解し、使えるリソースを考慮し、そして最後に勘を働かせて、事業を成功させるためのベストな方法を選択しなければならない。

参考文献


シュラムカール, & 倉田幸信. (2019). 起業に戦略のフレームワークは必要ない (FEATURES 起業家、VC、学者がそれぞれの視点から考える スタートアップに戦略は必要か). Harvard Business Review, 124–129.
ガンズジョシュア, スコットエリン L., スターンスコット, & 倉田幸信. (2019). スタートアップに有効な4つの戦略 (FEATURES 起業家、VC、学者がそれぞれの視点から考える スタートアップに戦略は必要か). Harvard Business Review , 112–123. 
Simon, H. A., 稲葉元吉, & 吉原英樹. (1999). システムの科学 (第3版). パーソナルメディア.
Gilboa, I., & 川越敏司. (2014). 不確実性下の意思決定理論. 勁草書房.